今日は虚子庵趾巡りだ
朝は薄曇りで富士山の方も何やら低い方に変な雲が出ているが、日が射し温かくなったので、
またもや鎌倉中央公園通って梶原口へとウォーキング
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公園内の梅林が満開
そして葛原岡神社へ抜け、銭洗い弁財天へと下って、由比ヶ浜を目指した。
鶯の初鳴きをそこかしこで聞いた。
ペアリングの真っ最中であろうか、離れた所で双方が掛け合っているのを訊くと
今年も無事にペアリング出来るようにと、声の聞こえる方を見た。
鶯は、見えないけれど(だから写真は撮れなかった,録音はあるのだけれど)
今年は2月8日が「黄鶯睍睆」(こうおうけんかんすー歳時記より)第二候で
「うぐいすなく」と読んでいる方もいます。
又、こうおうけんかんすも調べるとあちこちで読み方が少し違うのです。
「黄鶯」は鶯のことで「こうおう」と読むことは広辞苑にも載っていました。
「睍睆」は熟語としては載っていないので読み方は「けんかん」としか読めないことが分かりました。
あちこちにケチを付けてはいけないので、歳時記の「こうおうけんかんす」を読み方として正しいとして
意味は「鶯の初音が聞こえてくる頃」ですが、2月8日はちっともそういう気配がありませんでした。
で私が鶯の初音を聞いたのが今日だったと言うことでした。
さて佐助一丁目交差点を左に曲がると鎌倉市役所、そして鎌倉駅だが
真っ直ぐ突き抜けると道なりに左へ曲がって行くことになり、鎌倉税務署の裏手の道となる。
そこは古い街並みで、通りの名も「かまくら昔みち塔之辻」とある
税務署の裏通りを進むと、大きい家が多いが古家は少ないので、あんまり見所が無い
さて、目指す高浜虚子旧居は見つかるんであろうか
それが簡単に見つかった。
今は,別の方が住んで折られるようなので、中は覗かないで、右手の方へ廻ると
江ノ電に面して建っているのが分かった。しかも踏切が傍にある。
虚子はここで客人を招いたりして俳句を詠んでいたと言うが、踏切の音はどうだったんだろうか?
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左の家が虚子旧宅。庭を挟んで江ノ電が通っている
調べると、虚子がここへ引っ越してきたのは1910年(明治43年)。
江ノ電の小町駅までの開通が同じ1910年。
と言うことは江ノ電は開通していたか、若しくは開通と同時。
ただ、当時の踏切に警報があったかどうかは分からなかった。
ので、推測だが、多分無かったと思われる。
というのは、最初、江ノ電は期動による運行、即ち路面電車扱いだったのが、
第2次世界大戦下、国防の国策により昭和19年鉄道として認可された。
そのため、鉄事業法では併用軌道が原則禁止されているのに、江ノ島〜腰越間で4箇所、一般道路と並行して鉄路が走っている。
従って、住宅街を走るので速度も遅く、踏切というモノが少なかったであろうと思われる。
さて、江ノ電のことは又、別な時に乗せるとして、高浜虚子旧宅のことである。
正式には「高浜虚子庵趾」となっている。
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敷地内南西角に有る文学案内版
この案内版によれば
〇虚子庵
高浜虚子の住居は虚子庵と呼ばれており、ここで句会がしばしば開かれました。
高浜年尾(虚子の長男)は随筆「虚子と家」の中で次のように記しています。
なお文中「原の台」とはこの場所のことです。
『父は自分の家と言うことに対して執着の少ない人であった。
大体借家住まいで過ぎて居り、鎌倉へ明治43年12月2日に引っ越してきた時も、小林米珂(帰化英国人)の借家に入ったのであった。
そこから3度住み変わったが、結局初めて入った家が現在の原の台のあの場所に小林米珂の手で移されたものを、
無理に父が買わされたのが、初めて自分のものとなった家なのであった。
〇高浜虚子(1874ー1959)
俳人、小説家。愛媛県生まれ。
本名、清(きよし)。「子規より授かった号は本名からとって、虚子(きょし)となった」
仙台二高中退。中学時代から正岡子規に兄事して文学を志す。
明治30年松山で創刊された「ホトトギス」(柳原極道が創刊したものを有償譲渡された)を引き継ぎ、東京で編集発行にあたった。
明治40年代には小説を発表、写生文派の小説家として活躍した。
大正2年に俳句に復帰、河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)の新傾向に反対し、定型と季語を伝統として尊重した。
(このあたりの経過は前Blogに多少詳しく書いた)
昭和2年には花鳥諷詠を提唱。その主張のもとに多くの俳人を育てた。29年に文化勲章を受賞した。
〇碑文
波音の由比ヶ濱より初電車 虚子
虚子庵趾
右側面「字明治43年 至昭和34年 発起 鎌倉文学史話会 星野立子 高木晴子 上野章子 昭和57年4月建之」
という案内版の説明。
明治43年から昭和34年に亡くなるまでこの地に住み続けたようである。
文中にあった碑文「波音の・・・」下写真参照
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碑文「波音の 由比ヶ濱より 初電車」
ついでに、虚子の短歌があるというので、文学館に探しに行きます。
続きは明日のBlogで
さて今日は『蟄虫啓戸』
七十二候の第七候
「すごもりむしとをひらく」
歳時記カレンダーによれば「ちっちゅうこをひらく」
今日の新型コロナ感染状況
[2021/3/6 23時59分]国内新型コロナ新規感染者数:1,054人、国内総感染者数:439,628人、累計死亡:8,251人
累計死亡者数(3/5):①東京都1,462人、②大阪府1,134人、③神奈川県716人、④北海道691、⑤埼玉県618人、⑥兵庫県557人、愛知県540人、千葉475人
累計感染者数(3/6):①東京都113,218人、②大阪府47,594人、③神奈川県45,554人、④埼玉県29,931人、⑤千葉県27,109人、⑥愛知県26,164人、北海道19,388人、兵庫県18,145人
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7日間で100人以上の新規感染者数を数えた都道府県のみ
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7日間で200人以上の新規感染者数を数えた都道府県のみ
このグラフでは、感染者数は3月になってから、7日間新規感染者数の勾配が横ばいからやや上向いていることに注意。
国内重症者388人(3/5)-398人(3/4)=前日比-10人、PCR検査数37,203件/日(3/4)、死者数55人(3/5)前日比±0人
PCR検査数は増えても4万件なんですね。
昨日の新型コロナ感染状況
[2021/3/5 19時30分]国内新型コロナ新規感染者数:1,149人、国内総感染者数:438,574人、累計死亡:8,198人
上記グラフ、図は札幌医大コロナデータとしてホームページから、数値はNHK報道資料より転載させていただきました。
感謝申し上げます。