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2021年1月31日 鎌倉の月と富士、寒桜、初メジロ、葛原岡神社

2021/01/31 07:10 月と富士

朝に月が見えるとは!?

で、今日は鎌倉中央公園から葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)へ

ようやっと今日になって初詣?って遅いか。

まあ、気にせず、コロナ禍で身動きとれずというか、「外出は極力控えよ」というので

鎌倉と言えば鶴岡八幡宮なんだけれど、今年はパスした。

そして成田山詣でもパス。

鎌倉中央公園は山崎口から入る。

鎌倉市の紹介記事から

「鎌倉中央公園は鎌倉市の中心に位置した公園で、豊かな自然に恵まれた環境の中にあります。

この公園は緑化意識の高揚を目的とした「都市緑化植物園ゾーン」と、

現存する田畑などの景観を保ちながら多様な余暇活動の場として利用していただくための「自然活用ゾーン」、

樹林地や湿地に棲む小動物や鳥類、野草などを保護し、景観や生態系に配慮した「保全ゾーン」に分かれています。

鎌倉中央公園マップ

山崎口から入って、門を入ると二股を右へ

又、門がある。

通常は開いている。全体はずっと上り坂で「下池」を通って、左に休憩所が見えたら

左折して、湿生花園の菖蒲などが植えてある木道を道なりに進む。

その先は、滝のようになることを意図した流れ出しがある。

「上池」からの水が流れ落ちるところ。石段を上がって「上池」の畔に。

「下池」は緑の藻に覆われていて淀んでいるが、上池は、少し広く藻もない。

緑の相談所管理事務所を右手に見ながら、上り坂を上がる。

ロータリーがあり、清水塚口からバスが入ってくる。

「鎌倉中央公園」というバス停がある。鎌倉市役所前バス停から、公園内のバス停まで直接来れて便利だが本数が少ない。

駐車場もあるが優先予約となっている事に注意。(鎌倉中央公園 管理事務所 0467-45-2750)

ロータリーから左側の太い道なりに進むと芝生広場を通って、子供たちが遊ぶ遊具があり、その先にトイレが見えてくる。

そこを過ぎて道なりに左カーブをゼイゼイ言うほどの急坂を登る。

登り切ると右に苗園が見えるが、普段は閉じている。

そこから、今度は下りで、南北に長い疎林広場に出る。

くつろげる木製ベンチがいくつか置いてある。

ここまではかなり奥まっているが、アベックが多いように感じるのはひがみか?

進んで、右端角から細い道を降りるように進む。急な下り道。丸太が横にひいてあって階段状にしてあるが歩きづらい。

降りたところが農家風休憩所と

野外生活体験広場となっている。

生活体験はどのようにするのだろうと思いながら右側を進む。

実は山崎口から入ったら右ではなく、左に行くと、こんなにゼーゼー息を弾ませなくても

坂を上がらなくても、崖のような斜面を降りなくても、この広場に短時間で着く。

すみません、山崎口からは入ったら左にで!

この広場は芝生で大きい木が約10本近く有るだけ。親子が凧揚げしていた。

広場の右端を歩くと、その道沿いに小川が流れていて

少し段になって右上に田んぼがある。その先は、

小段谷戸と言われる谷あいである。

そちらには行かず道なりに進むと田んぼが、何段も小さく分かれているが、結構な広さがある。

寒さで田の水が凍っていて、右側の道は崖下なので霜柱が溶けたと見えてうんでいる。

左側の道は陽が当たり明るくしかも乾いていて歩きやすい。

暫く道なりに湿地沿いを進む。

湿地を抜けた梅園の手前の木道

湿地を抜けると、整備された木道に出る。左手に梅園が見えるが、未だ蕾は堅い。

そこを抜けると、一気に急な上り坂で丸太を横に並べた階段状の坂なのだがぬかるんでいて歩きづらい。

あえぐようにして急登を!すると

梶原口に出る。

上がりきったところが梶原口の出口。

出て直ぐ右に道なりに進む。(振り返った写真が下)

そこから、右に左にと、何回か曲がると、広いアスファルト舗装の車道に出る。

左手に進み、坂を登るように道なりに進むと、住宅街の中に、住宅風建物の「プランデルブ」と言うフランス料理店。

さらに、進むと坂の頂上だろうか、小高く盛った土手みたいな所に山ノ内配水池とある。

そしてその先の左手に、離れているのに何故だか鎌倉中央公園南管理事務所がある。新しく小綺麗である。

そこから下り初めて直ぐ、「ギャラリー北鎌倉物語」と言う喫茶店。

その隣が、「ビストロ ラ・ベクニコヴァ」これまたフランス料理店。

営業はしていたが、コロナ禍で立ち寄るのは自粛して

通り過ぎると道なりに左に曲がっていく手前に右へ入る小道がある。見失いそうな道が。

葛原岡神社への方向を示す小さな看板あり。その下には銭洗弁財天の案内も。

その小道なりに進む。急な崖にへばり付くようにして建つ住宅が十軒余り。

道は狭く、車は通り抜けられるのだろうかという狭さ。

高台となっているので住宅の隙間から、富士が見える。

頭だけ出した富士。でもよく見ると裾野が見える!

その数軒の住宅を抜けると、葛原岡神社である。

その手前の道すがら寒桜が咲いていたのでパチリ

見ていたら、

なんと初メジロである

初メジロのお迎え

そして、又々、リスのお迎えである。

椿の花を食べる?リス

そして葛原岡神社

葛原岡神社

明治20年に創建された比較的新しく、日野俊基卿(鎌倉時代末期に後醍醐天皇の側近として活躍した人)を祀る神社。

この葛原岡は刑場であったという。

日野俊基卿は後醍醐天皇の元、鎌倉幕府を倒そうとし捕まり、1332年6月3日処刑。

幕府によって非業の死を遂げたことが無念であるという

「秋をまたで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらむ」の辞世の句が残っている。

同時に漢詩も残されていて

「古来一句 無生無死 万里雲尽 長江水清」

意訳:古来より「死もなく生もない」という言葉がある。

自分も精一杯頑張ったが、残念ながら、万里の果てに雲が尽きる様に、今は万策尽き果て、この様な結末となったが、

理想の為に力尽きたのだから、生や死はもはや問題ではなく、少しの恨みもない。

今は、長江の水が清らかな如く、自分の心は一点のけがれもなく、さわやかである。」(出典:葛原岡神社ホームページより)

この辺は「太平記」に詳しく載っているらしい。

でも漢詩と和歌ではちょっと言ってることが違うなあと思うのは私だけ?

鎌倉幕府の有った中心部からはかなりの急坂を上がって、刑場へと身を引き立てられてくることになる。

この翌年の1333年、楠木正成、新田義貞らにより、鎌倉幕府は倒されてしまう。

葛原が岡という地名は梶原氏の祖「葛原親王(桓武天皇の第3皇子)」を祀っていた事が地名の由来。

神社名には、「が」が入らない「くずはらおかじんじゃ」と読む。

そして、縁結びの神社としてご祭神は大黒様で、良縁の神様らしい。

そして、この男石と女石。

うーっむ、見事!ようやりまんなと何故か関西弁で宣う私であった。

こちらが本殿

鎌倉駅から徒歩35分、北鎌倉駅から徒歩30分。

私の来た道は、鎌倉中央公園山崎口からの散歩でした。

自宅からは往復14000歩余。

今日の新型コロナ感染状況

[2021/1/31 23時59分]国内新型コロナ新規感染者数:2,673人、国内総感染者数:390,687人、累計死亡:5,766人

東京都:633人、神奈川390人、埼玉243人、千葉212人、

そして国内重症者973人(31日)、974人(30日)前日比-1人、PCR検査数59,049件/日(28日)

昨日の新型コロナ感染状況

[2021/1/30 18時45分]国内新型コロナ新規感染者数:3,345人、国内総感染者数:388,015人、累計死亡:5,701人

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