ようやっと夕景におぼろげに富士山が浮かんできました。
12月10日(木)、今日はノーベル賞の授賞式が執り行われています。
他に、近江屋事件で坂本龍馬が暗殺された日です。
(旧暦:慶応3(1867)年11月15日)153年前のことです。
そして、3億円事件が発生した日。
1968(昭和43)年12月10日、現在の金で30億円(?)が強奪された。
何と色んな凄いことが起こった日でもあるんですね。
今日は衝撃を受けたキリスト教牧師の一言です。
マルティン・ニーメラー牧師の詩『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
この詩を初めて目にしたのは、日本キリスト教協議会の星出卓也さんの著述です。
菅義偉首相が日本学術会議の新会員六人の任命を拒否した問題で、
日本キリスト教協議会や映画人22人が出した抗議声明で、
このニーメラー牧師の言葉が引用されていました。
弾圧を受けた被害者としてのものではなく
弾圧を容認・黙認し、その結果、加担する者となった加害者としての罪責の告白でした。
(星出卓也さんの言葉を引用)
ニーメラー財団による詩
ドイツ語版
Als die Nazis die Kommunisten holten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Kommunist.
Als sie die Sozialdemokraten einsperrten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Sozialdemokrat.
Als sie die Gewerkschafter holten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Gewerkschafter.
Als sie mich holten, gab es keinen mehr, der protestieren konnte.
— マルティン・ニーメラー財団による作成
日本語訳
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
日本学術会議の新会員任命問題で、排除された学者に起こったことは
学者と言うだけの狭い問題ではなく、
私たちの口を塞ぎ、耳を塞ぎ、目を塞ぐ、
その事の始まりでは無かったのかと後悔することの無いように(星出卓也さんの言葉)
無関心の過ちを警告する言葉として受け取った私でした。
最後に、1946年1月、ゲッチンゲンでの説教で、
『私には罪がある。
なぜなら私は1933年になっても、ヒトラーに投票したし、
また正式な裁判なしに多くの共産党員が逮捕され投獄された時にも、
沈黙を守っていました。
そうです。
私は強制収容所においても罪を犯しました。
なぜなら、多くの人が火葬場にひきずられて行った時、
私は抗議の声をあげませんでした』
米国の記者ミルトン・マイヤーの著作『they thought they were free』
(『彼らは自由だと思っていた――元ナチ党員10人の思想と行動』(田中浩・金井和子訳、未来社)〉より引用しました。