「二十四節気」の三番目。
大地が温まり、冬眠をしていた地中の虫が春の陽気に誘われて穴から出てくる頃で「啓蟄」とされる。
「啓蟄」の「啓」には「ひらく、開放する」の意味があり、「蟄」には「虫が土の中に隠れる、閉じこもる」の意味がある。
プランターの中の土をほじくり返すと、一杯卵のように丸まった幼虫が出てきた。
今日は夕方に雨も降りそうで空はどんよりしていて、まだ、寒い。
この虫たちは成虫になるとどんな姿をしているんだろうと思った。
啓蟄の 土をうるほす 雨ならむ
高浜虚子の句である。
3/3のブログで、立子忌を通じて「鎌倉虚子立子記念館」を紹介したが、
高浜虚子自体の文学館は
小諸市に疎開したことが縁で、2000年3月に小諸高浜虚子記念館が開館している。
同年4月に虚子記念文学館(きょしきねんぶんがくかん)として、兵庫県芦屋市に開館。
鎌倉には1910年(明治43年)から1959年(昭和34年)に脳溢血により由比ヶ浜の自宅で亡くなるまで、住み続けた。
虚子の次女が、星野立子で、「鎌倉虚子立子記念館」で親子の俳句を見ることが出来る。
高浜虚子の代表作の1つが
春風や闘志抱きて丘に立つ
こう詠んだのは
1913年(大正2年)、碧梧桐に対抗するため俳壇に復帰したとき。
このとき、碧梧桐の新傾向俳句との対決の決意表明とも言える句としてこれを詠んでいる。
ホトトギス派の巨匠となった高浜虚子、片や俳句革新運動の代表として新傾向俳句、更に自由俳句を提唱した河東碧梧桐
共に,正岡子規の高弟である。
子規が短命を悟った時に後継者となることを要請されたが拒否した虚子
子規没後、新聞『日本』俳句欄の選者を子規より受け継いだ碧梧桐
共に愛媛県温泉郡千船町出身で第三高等学校から第二高等学校へと転校する時も一緒
寝食を共にし、その下宿を「虚桐庵」と名付けるほどの仲だったという。
虚子が、入院中の碧梧桐を見舞った時に知った婚約者と結婚して(1897年)しまってから2人の仲は・・・・
しかし、虚子は子規没後(1902年)、俳句の創作を辞め、小説の創作に没頭する。
16年後の1913年に河東碧梧桐に対抗するため俳壇に復帰した高浜虚子であった。
俳壇に復帰したのち、虚子つまり『ホトトギス』は大きく勢力を伸ばし、
大正、昭和期(特に戦前)は、俳壇即『ホトトギス』であったといえる。
虚子は俳壇に君臨する存在となった。
碧梧桐と虚子は「子規門下の双璧」と謳われ、青年期には厚い友誼を結んでいたが、
芸術面では守旧派として伝統的な五七五調を擁護する虚子とは激しく対立していた。
子規は、碧梧桐と虚子について
「碧梧桐は冷やかなること水の如く、虚子は熱きこと火の如し、
碧梧桐の人間を見るは猶無心の草木を見るが如く、虚子の草木を見るは猶有上の人間を見るが如し。」と評していた。
今日の新型コロナ感染状況
[2021/3/5 19時30分]国内新型コロナ新規感染者数:1,149人、国内総感染者数:438,574人、累計死亡:8,198人
累計死亡者数(3/4):①東京都1,442人、②大阪府1,128人、③神奈川県705人、④北海道689、⑤埼玉県598人、⑥兵庫県554人、愛知県535人、千葉467人
累計感染者数(3/4):①東京都112,624人、②大阪府47,439人、③神奈川県45,311人、④埼玉県29,727人、⑤千葉県26,865人、⑥愛知県26,079人、北海道19,277人、兵庫県18,094人
これを見ると、全国の7日間新規感染者数の約60%を赤い枠の緊急事態宣言の出ている首都圏の4都県が占めている事になる。
このグラフでは、感染者数は3月になってから、7日間新規感染者数の勾配が横ばいからやや上向いていることに注意。
国内重症者398人(3/4)-407人(3/3)=前日比-9人、PCR検査数41,237件/日(3/3)、死者数55人(3/4)前日比-12人
PCR検査数は増えても4万件なんですね。
昨日の新型コロナ感染状況
[2021/3/4 23時59分]国内新型コロナ新規感染者数:1,170人、国内総感染者数:437,429人、累計死亡:8,156人
上記グラフ、図は札幌医大コロナデータとしてホームページから、数値・棒グラフはNHK報道資料、東京新聞ホームページより転載させていただきました。
感謝申し上げます。