今日は一日中見えないので、代わりに我が故郷の秀峰・蝦夷富士のことを
私が高校を卒業するまで、毎日、仰ぎ見た蝦夷富士である。
この蝦夷富士こと「羊蹄山」は、1,898mの独立峰なので富士山と同じ見え方をする。
すなわち、四方八方から仰ぎ見るという意味で。
その四方八方には倶知安町、喜茂別町、京極町、真狩村、そしてニセコ町が囲んでいる。
私が、高校性までの間は、「後方(しりへ)羊蹄(し)山(並べて読むとしりへしやま)であるが
漢字をそのまま読んで『こうほうようていざん』」と国土地理院発行の地図にも載っていた時期があるが
難読だという理由で倶知安町が変更を求め、1969年11月発行の地形図から「羊蹄山(ようていざん)」と書き変えられた。
倶知安町も充分難読だと思うが。
旧名である後方羊蹄山は、斉明天皇5年(659年)5月17日条に阿倍比羅夫が郡領を置いた
(イカシマとウホナという蝦夷が群家として頂きたいと願ったため、設けた)と
『日本書紀』に記されている地名後方羊蹄(しりべし)に由来する(実際に同じ場所を指すかどうかは不明)。
なお、後方で「しりへ」と読み、植物のギシギシの漢名である羊蹄を和名で「し」と読むことからしりべしやま=後方羊蹄山とついた。
ニセコ駅と倶知安駅の間の駅名が「比羅夫駅」と呼ぶのはこの阿倍比羅夫に由来する。
阿倍はどうも煮えくらないので好きになれないのだが・・・安倍晴明というのもいたし、致し方ないか。
又、この独立峰を、眺めることが出来る山がニセコ連峰である。
冬のニセコスキー場から見た蝦夷富士も素晴らしい景観である。
しかし、秋の紅葉の真っ盛りの10月初旬(ほんの1週間程度の短さ)の秋の紅葉を眺めながら、
登頂したニセコアンヌプリ(1,308m)から見る蝦夷富士も又格別なモノがある。
最初の画像が、その紅葉の時期のニセコアンヌプリの山頂から見た蝦夷富士である。
私の高校性の頃は死火山と言われたが、その言い方がなくなる前の2003年に気象庁により活火山に指定されている。
麓を流れる尻別川支流の真狩川では、アカハラと地元で言われているオショロコマ(カラフトイワナ)が釣れる。
私も31㎝のオショロコマを釣り上げたことがある。(通常は20㎝にも満たない大きさ)しかもドライフィッシングで。
腹が赤いことからアカハラと呼ぶ(地元の人は)。
その時の感動は大きかったが、一緒に行った兄が室蘭の釣具屋に売って剥製にしたらしい。
その川べりで、釣った獲物を狙って、良くエゾクロテンがうろちょろしていて目撃も多かった。
他に、地元でよく普通に見られたのが、キタキツネは勿論だが、エゾリス、エゾシマリス、エゾモモンガ、エゾユキウサギなどがいる。
エゾユキウサギは、よく獲ったもので、今なら非難囂々ものであろう。
エゾリスは、かって住んでいた札幌西野の家によく遊びに来ていた。(ドングリやクルミで餌付けをしたためと思われる)
エゾシマリスは傍で見たことが無い。