いま日本を襲おうとしている噴火と大地震の連載−6
『巨大地震が再び日本を襲う!』ー第1章『活動期に入った環太平洋の超巨大地震』
ここでは、再び琉球大名誉教授木村政昭氏の著書からの紹介となります。
『巨大地震が再び日本を襲う!首都圏に迫る大津波と富士山噴火』(木村政昭著、宝島社)をご参照下さい。
地震学では地震を規模別に、
M1以上を「微小地震」、M3以上を「小地震」、M5以上を「中地震」、M7以上を「大地震」と分類している。
さらに定義が決まっていないが、M8以上のものは「巨大地震」と呼ぶことがある。
M9は「超巨大地震」と読んで区別しても良いだろう。
1.観測史上最大の超巨大地震
それは、1960年5月22日チリ南部で発生した。
単に規模がとてつもなく大きかったと言うだけではない。
被害が極めて広範囲に及び、今日に至る地球規模の「超巨大地震シリーズ」の始まりを告げた地震と言える。
1960年チリ地震以前にM9.5以上と算定できる地震はなく、今現在も発生していない。
2.チリ地震発生のメカニズム
地球の表面は厚さ10数kmからおよそ200kmのプレートと呼ばれる板状の岩石で覆われている。
この板は1枚ではなく地球全体は14〜5枚のプレートの存在が知られていて、
それぞれがジグソーパズルのように組み合わさって地表を覆っている。
日本は、太平洋プレートと北アメリカプレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレートと
4つのプレートが押し合いへし合いをしているところに位置する。
1960年チリ地震は、ナスカ・プレートと南アメリカ・プレートの境界付近で起きた。(上図中央部)
東太平洋の地下にあるナスカ・プレートが年約9cmの速度で
南アメリカ大陸を乗せた南アメリカ・プレートに沈みこむ収束型境界で起きた。
断層が動いた場所(震源域)の長さは約800km、幅は約200kmと極めて広い。
震源はチリ首都サンチャゴから約575キロメートル南西のマジェコ県内で、深さ35キロメートルと浅かった。
3.チリ南部被災地では全村民死亡被害も
この地震では、震動による被害よりも、本震直後に発生した大津波による被害の方が大きかった。
当時の報道では、
『チロエ島の州都アンクーでは激震の後、急に5〜600メートルほど潮が引いた。
と、見るより早く10メートルを超える大津波が海岸際に襲いかかり、ありとあらゆる建物を粉砕し去った。
これが3回繰り返された後、同市の大半が深さ5メートルの海水につかり、死者行方不明100人、家屋倒壊は全戸の60%の惨害を受けていた。
津波による死者行方不明は、主なもので、ケウレン村の住民800人中630人、アレタ村100人、
カレランプ村に至っては全人口850人がすべて死ぬというひどさである。
25日には、チロエ島に再び強振があり、州都アンクーは全滅に近い打撃を受けた。
21日未明以来4回にわたる激震によって、チリ南部は壊滅的打撃をうけた』(週刊朝日1960年6月12日号より)
4.チリ地震による日本の死者は142人
津波はハワイ到達した後、太平洋をさらに約6300km進み、日本列島に打ち寄せた。
本震から約23時間後、日本時間5月24日午前3時過ぎ、第一波が日本に到達した。
宮城県静間町(元南三陸町)の様子が次のように報じられた。
「高さ5メートルの真っ黒い波が海岸の防波堤を乗り越えて銀行、商店などが密集する繁華街に押し寄せた。
警報のサイレンを聞いて町民館が来外に出た時は、すでに堤防を乗り越えた高潮が膝まで浸っていた。
海岸よりにあった志津川病院(現南三陸病院)では80人の入院患者が2階に避難した瞬間、
階下の窓から濁流が流れ込んで、ベッドを跡形もなくひとのみにした・ ・ ・(中略)・・・
波で押し流されたバスが大きく傾き、パチンコ屋の2階からは漁船が突き出ている。
製材所にあった材木は濁流に流され、町の道路は材木で埋まり歩行も困難。
銀行は大きな金庫が残っただけで跡形もない。
電柱はバタバタ倒れ、電気、電話は一切ストップ、
暗黒に沈んだ廃墟のような家並みはまさに死の街の様相だった」(毎日新聞1960年5月25日付朝刊)
公立志津川病院の現在は、南三陸病院と改称し高台に移転となっています。
5.1950年〜1965年に頻発した巨大地震
① 1950年チベット・アッサム地震(M8.6)
② 1952年カムチャッツカ地震(M9.0)
③ 1957年アリューシャン地震(M8.6)
④ 1960年チリ地震(M9.5)
⑤1963年択捉島沖地震(M8.5)
⑥1964年アラスカ大地震(M9.2)
⑦ 1965年ラット諸島地震(M8.7)
1901年以降に世界で発生したM8.5以上の巨大地震の発生を時系列で並べると
そのうちM8.5以上の地震が頻発した時期が2つあることがわかる。
最初の時期は1950年から1965年までの15年間に、M8.5以上が7回、
そのうちM9以上が3回と言う異例な高頻度で地震が発生し、
震源域はことごとくプレート境界付近です。
世界的にプレート活動が活発化し、特に環太平洋の地震・火山活動が活発化していることを裏付けているといえます。
6.東太平洋海膨(かいぼう)で起きていた史上最大の火山噴火
この活発化と密接に関係がありそうな現象が1960年代前半、東太平洋の海底で起きていました。
「東太平洋海膨南緯8度付近における近年噴火した220平方キロメートルの溶岩原」と題した論文によりその事実が知られました。
(米カリフォルニア大学ケン・マクドナルド教授ら発表)
「海膨」とは「海嶺」とも言い、海底火山山脈のことです。
東太平洋海膨は、西側の太平洋プレートと、東側のココス・プレート、ナスカ・プレートや南極プレートを分かつ場所に位置します。
プレート境界であり、プレート同士が離れ合う発散型境界です。
海底調査からわかった事は、東太平洋の溶岩原が噴火したのは、1964年から1969年と考えられると言います。
最大100mもの厚みのある溶岩原が確認されました。
溶岩の噴出量は15 ± 4万立方キロメートルと推定されています。
知られている史上最大の火山噴火量は、1783年に噴火したアイスランド・ラキ火山の12.3万立方キロメートルです。
この論文の評価が確かなら、『有史以来、最大規模の噴火』が東太平洋海膨で起こっていたことになります。
7.2004年から再び始まった巨大地震の活動期
そして東太平洋海膨の大噴火からおよそ40年、
セントヘレンズ山噴火から24年経って、プレート境界で再びM8.5以上の地震が頻発し始めています。
つまり今は2番目の時期に当たり、2004年スマトラ島沖地震に始まるシリーズであり、2011年東日本大地震も含まれるのです。
では2004年から2012年に至るM8.5以上の巨大地震シリーズを振り返ると
(M8.5以上は第1期からの続き番号、続き番号無しは2000年からの8.0〜8.4も含めた)
2000年パプアニューギニア・ニューアイルランド島地震(M8.0ー南)
2001年ペルー沖地震(M8.4ー東)
2003年十勝沖地震(M8.0〜8.3ー西)
⑧2004年スマトラ島沖地震(M9.1ー南)
⑨ 2005年スマトラ島沖地震(M8.6−南)
⑩2007年スマトラ島沖地震(M8.5ー南)
2007年千島列島・新知シムシル島東方沖地震(M8.1ー西)
2009年サモア沖地震(M8.1ー南)
⑪2010年チリ地震(M8.8−東)
⑫2011年東日本大地震(M9.0ー西)
⑬2012年スマトラ島沖地震(M8.6ー南)
2014年チリ・イキケ地震(M8.2−東)
2015年チリ・イヤベル地震(M8.3−東)
2017年メキシコ南部沖チアバス地震(M8.1−東)
こういう風に列挙すると、大まかに巨大地震は太平洋の南→東→西の順で発生している事が分かります。
もし、太平洋における巨大地震に規則性があるとすれば
次の巨大地震は・・・太平洋の西?・・・2020年頃の日本?
8.巨大地震、大噴火が次々に起きる「火の輪」
もう一度、上図「世界の主なプレートとその境界」を見ていただきたい。
1950年以降の巨大地震や大噴火の多くは、ここで説明した太平洋プレートとその他のプレートの境界付近で起きている。
この現象を踏まえて、主に太平洋プレートの境界からなるこの境界を、英語では「Ring of Fire(火の輪)」と呼ぶ。
このように考えると、東日本大地震がこの時期に、これだけの規模で起こったと言う事はそう不自然でないと思えてくる。
むしろ1950年頃のどこかの時期を境に、地球を覆う十数枚のプレートが一気に動き出し、
よりいっそう押し合い、へし合いが激しくなって「Ring of Fire(火の輪)」の地震・火山活動を活発化させている。
東日本大地震はそのような仮説を裏付けるものだったと考えている。
と琉球大名誉教授・海洋地震学者の木村政昭氏が言っています。
この続きは言えない。
なぜなら、『超巨大地震は予知できる』といっているので、これ以上のネタばらしはもういけません。
是非お読み下さい。
『巨大地震が再び日本を襲う!首都圏に迫る大津波と富士山噴火』(木村政昭著、宝島社)